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代表挨拶・プロフィール

代表挨拶

代表 塚本明里

はじめまして、塚本明里です。
脳脊髄液減少症と筋痛性脳脊髄炎と線維筋痛症の3つの難病患者です。

病気が発症した16歳当時は自分の状態が受け入れられず、周りの友達に病気が発症していることを話しませんでした。何も出来なくなったことを自分に負けたように感じていたのかもしれません。そんな私に学校の先生・保健室の先生の方から手を差し伸べて下さって、そこから周りへと病気への理解がなされていきました。高校を卒業できたのは、温かく寄り添っていただけた周囲の皆さまのお陰です。

親が送り迎えしてくれる病院通いの日々。人生の転機になったのは竹田クリニックの竹田先生が身体障害者手帳所得の意見書を書いて下さってリクライニング車椅子(介助式です。電動でないのは横になっていないと血の気が引いてしまい自分では操作できないから)が手に入り外に出られるようになったこと。
外出が可能になったことで多くのチャレンジができるようになりました。そこで得られた貴重な経験と人々。そして、多くの患者さんと繋がることができたことで患者さんの苦悩と闘いと望みと想いを知ることができました。

今、たくさんの方々と家族のお陰で生きている自分がいます。本当に感謝の日々です。出来なくなったことばかりですが、出来ることは諦めたくない。出来ることでお返ししさせていただけたら嬉しい。そんな思いです。

今、私にできることは、横になりながらでもパソコンが打てること・短い時間ならお話しできること・介助してくれる人がいれば外にでられること・少しなら立っていられること・20~30分程なら頭を立てていられこと・そして、笑顔でいられること。それしかできない私ですが、病気の問題・認知活動や地域活性の活動をしていきたいと思っております。どうぞ、見守って下さいますようお願いいたします。

プロフィール

塚本 明里
1990.2.17生まれ

高校2年生の春、突然高熱を出し倒れ動けなくなり病気を発症する。
以後、異常に体が重く感じ、微熱・非滲出性咽頭炎・首リンパ節の腫れ痛み締付感・頭痛・痺れ・こわばり・起立不耐症・脱力・めまい・極度の温度に対する不耐性・吐き気・腹痛・腹部膨満・過敏性腸症候群・蕁麻疹・少し動いただけで耳の聞こえが遠くなり・頭に霧がかかったようにものが考えられず・箸など持っても重く感じ・あまりに具合が悪い時は金縛り状態になるなど、ありとあらゆる体の不調に見舞われるようになる。発症1年後くらいには全身痛・痛みのため不眠・光や音で痛くなるという症状まで現れる。
発症より1年半後に筋痛性脳脊髄炎と線維筋痛症と診断される。
そして、発症から7年後に脳脊髄液減少症を発見。
高校2年生の突然の発病は脳脊髄液減少症だった可能性あり。脳脊髄液が脊髄硬膜全体から大量に漏れていることが確認された。そのような症例が今までなかったため「世界初症例ではないだろうか。」と言われた。

現在の治療は、痛みの治療の麻酔注射(星状神経節ブロック注射1ヵ所・硬膜外ブロック注射1ヵ所・トリガーポイント注射一回に40ヵ所・点滴を週2~3回。治療を始めた頃は週4~5回。)と投薬。薬が効いている数時間の内に体のこわばりを防ぐためリハビリ(極めてゆっくりのストレッチ)をしている。倦怠感や疲労感に効く薬はない。
起立位は15分位しか持たず、座っていても頭を支えていないと30分で血が下がる感じがして更に具合が悪くなり、1時間もすると倒れてしまうため常に横になる場所を確保しなければならない。ひどい時は気を失う。
普段、家ではほとんど床に伏している。乗り物の移動時にも横位でいる。少し歩くことも出来るが、いつ倒れてしまうか分からないので 外出には付き添い人とリクライニング車椅子使用が不可欠である。

発病から線維筋痛症・筋痛性脳脊髄炎(当時は慢性疲労症候群)の診断まで16名の医師にかかる。そこから麻酔治療医を探して6名。脳脊髄液減少症に2名。計24名の医師にかかったことになる。

病気を発症して3年後、 リクライニング車椅子が手に入り、外に出られるのがうれしくて岐阜美少女図鑑に応募、採用される。
病気で舞台に立てないが、仲間のモデルを応援しに行く様子が 地域活性化街づくりの会「ひとひとの会」の目に留まり、岐阜柳ヶ瀬商店街の非公式キャラクター“やなな”の広報にと声がかかる。“やなな”と”柳ヶ瀬”が大好きな上、「自分の病気の理解にもつながるかも」との思いで引き受ける。

線維筋痛症を診断してくれた医師が「早期に治療を始められたら若い人なら予後が良い。」と言っていたのを思い出し、「医師にも知られていない病気で診断までに時間がかかってしまった。病名だけでも皆に知ってもらえれば早く専門医にかかって診断され治療が始められる人がいるのでは。早く治療が始めれば治る人もいるのでは。」とメディアの取材に応じ始めた。
そして、病気を持っているのにも関わらず モデルや街づくりイベントの活動をする様子をNHK岐阜がドキュメンタリーとして番組を作成。その後、さまざまなメディアに取り上げられる。(メディア情報はこちらhttps://www.radetzky.biz/%E3%82%BF%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%88-1/%E5%A1%9A%E6%9C%AC-%E6%98%8E%E9%87%8C/

しかし、取材を受けたが病気に対し知識不足を感じ「筋痛性脳脊髄炎」と「線維筋痛症」の両患者会に入会し情報を得たところ、患者が受けている問題を知り、病気の認知救済活動を開始。2012年に「笑顔の花びら集めたい」を設立。

脳脊髄液減少症発見は2013年。2018年までに脳脊髄液減少症の手術ブラッドパッチを6回(1回で2ヵ所)行った。「ブラッドパッチを受ける度に薄皮を剥ぐように良くなっているように感じる。」と本人談。頭を立て続けられないのは変わらないが、痛みの治療は週に2~3回になった。

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